黒猫・白猫

(CHAT NOIR,CHAT BLANC)

ユーゴスラビア映画  1998年仏・独・ユーゴ合作 2時間10分

監督:エミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)

脚本:ゴルダン・ミヒッチ(Gordan Mihic)

撮影:ティエリー・アルボガスト(Thierry Arbogast)

美術:ミレンコ・イェレミッチ(Milenko Jeremic)

音楽:ドクトル・ネレ・カライリチ(Dr.Nelle Karajlic)

 ヴォイスラフ・アラリカ(Vojislav Aralica)

 デーシャン・スパラヴァロ(Dejan Sparavalo)

出演:ドクトル・コーリャ・バイラム・セヴェルジャン(Doctor Kolja Bajram Severdzan)

    フロリアン・アイディーニ(Florijan Ajdini)

    ザビット・メフメトフスキー(Zabit Mehmedovski)

サブリー・スレイマーニ(Sabri Sulejmani)

スルジャン・トドロヴィッチ(Srdan Todorovic)

リュビッツア・アジョヴィッチ(Ljubica Adzovic)

ブランカ・カティチ(Branka Katic)

 

  「黒猫・白猫」というと今日の中国経済発展の転機となったケ小平の「白猫・黒猫論」を思い出す。だが、この映画はユーゴスラビア(新ユーゴ)映画である。1999年、コソボ問題で、NATOの猛烈な空爆を受け大きな痛手を被ったが、空爆を受けた土地には“正義”やイデオロギーでは割り切れない、様々な人間模様がある。この映画が仏・独・ユーゴ合作というのがいい。監督のエミール・クストリッツァは1989年に「ジプシーのとき」でカンヌ映画祭で最優秀監督賞を受賞している。この映画も前作と同じロマ(ジプシー)の陽気な、人間味あふれる生活を描写している。前作が前作がジプシーの生活と風習を織り交ぜながら、子供を誘拐し犯罪組織に売るという重いストーリーを扱っているのに対し、打って変って「黒猫・白猫」は徹底した喜劇である。今回もヒロイン:イダ役のブランカ・カティチ、主人公のマトウコ役のドクトル・コーリャ・バイラム・セヴェルジャン、悪役のダダン役のスルジャン・トドロヴィッチ以外はほとんどがジプシーの人々である。

 ユーゴスラビアを流れるドナウ川を舞台に、マトウコとその息子ザーレ父子が住む家がある。マトウコはどうしようもない博打好きでダダンから借金し、彼の妹でテントウムシと呼ばれているアフロディタ(サリア・イブライモヴァ)と息子のザーレを無理やり結婚させなければならないことになる。ザーレとイダは愛し合っているが結婚式の日が来てしまう。孫が結婚したくないと知った祖父のザーリェ(ザビット・メフメトフスキー)は一計を案じ死んでしまう。葬式と結婚式は同時にできないとマトウコは死んだザーリェを屋根裏部屋に隠して結婚式を強行するのだが…。

 映画は冒頭からドナウ川遡ってきたロシア船からガソリンの替わりに水を売りつけられるという、騙し騙されのどたばたの喜劇から始まる。見世物で尻の穴で板のご五寸釘を抜く女性、自動車をバルバリと食べる豚、じゅ文を唱えると息が止まり心臓が停止してしまう祖父など、猥雑さと現実場慣れした、そして、偏見ではないが、南スラブ・ユーゴスラビアのドナウ川の辺のジプシーの世界では、そんなことがいかにも有りそうなシーンが、粗野なそして陽気なジプシーとロックの混合した音楽の奏でる中で繰り広げられる。圧巻は結婚式のシーンで、パーティー会場からダンボールに入って脱走を図る花嫁と、手投げ弾の爆発、驚いてパーティー会場を逃げ惑うガチョウやヤギ、舞い上がるガチョウの羽毛、その中大混乱の中で、なぜかパーティー音楽は鳴り止まない。